舞台『染、色』考察書き溜め 完6/18(6/26 一部画像追加)
初稿6/8 追記6/10 追記6/14 完記6/18
(6/26 一部画像追加)
正門良規さん現実に存在してた!!!!!!
正直、2回目のカテコまで “深馬” だったから、最後のカテコでお辞儀するときに前屈みたいに手を前にしてたところでようやく“正門良規” って感じました。コンテの肩のめりバチコリ上手くて、練習したんだなぁの気持ちになりました。
以上正門良規さんの感想でした!
以降、内容ネタバレ多く含みますし、なんせ中の人はガチゴリ理系大学生なので、理論的すぎるぞ語彙力ねぇなコイツ!と思っても優しい目でお見逃しください。
まず、一旦はパンフも読まず、忘れないうちに初観劇したこの思考を書き留めていますので、ゴチャゴチャなのはご了承ください。
あと、考察は個人的見解が含まれますゆえ、十人いたら十人の捉え方があるように、こんな考え方してる人いるんだくらいで受け取ってください!
[視覚的考察]
- 深馬の首の赤いスプレー
深馬と真未が出会い、その後真未の家に行った時に真未が深馬の首筋につけた赤いスプレー。つけたまま杏奈の家に行ったりするわけだけど、ある意味一般人に落とし込むと “キスマ” に近いソレであって。深馬の体に最初に物理的“染色”がされるシーンでもあり、これを機に “真未と深馬の関係が密になっていく” ということを示しているというように感じられる。杏奈も落とそうとするけど、冷静に考えてみると1人で描いててもそんなところに絵の具なんてつくわけないんだよな……
- 腕のスプレー
舞台が進んでいくと、首筋の赤いスプレーのみならず、腕までスプレーの染色が及んでいる。これは、真未の腕の染色とリンクしている。この状態のときは、もう完全に真未は深馬の “中に” いて、繋がりきっていることを示している。真未と会わない日々になってからの語り部中に腕のスプレーを消していることから、繋がりがなくなったことを示している。
- 羽織シャツの色
最初ベージュだったシャツは、真未を抱いたあの日を境に黒のシャツへと変化する。黒ずくめの真未に心理的“染色”されてしまった深馬の心理状態をシャツの色の変化で表していると考えられる。熱中症でパーカーになったあと、真未と距離をおいた生活に戻り、茶色のシャツへと戻る。
追記
正確には、
白T→ベージュ→黒→灰色パーカー→白T→ベージュ
でした…
白T=真未なんて全く無縁な深馬
ベージュ=真未の存在を感じている深馬
黒=真未に心理的染色をされてしまっている深馬
といったところかな…………
[アートの絵の題材について]
- 恐竜の絵
異常なほどに首が長いあの恐竜。ブラキオサウルスじゃないかと推測。“ブラキオ” とはギリシャ語で“腕”という意味で、ブラキオサウルスは上腕骨がとても長く、腰よりも肩の位置が高くなっているようです。
真未が “腕” を染色していたのとなにか繋がりがあったりなかったり?少なくとも数ある恐竜の中からブラキオサウルスを採用したのはこういう意味があったからかな〜〜という私の想像です。
- 青白く燃える花
(引用元 STAGEnavi vol.57 p78)
自ら燃える花として、ゴジアオイというお花があります。ゴジアオイは環境に非常に敏感な植物であり、周囲の気温が35度以上になってしまうと、その身から発火作用のある分泌液を出してしまいます。発火作用のある分泌液にまとわれたゴジアオイは、ちょっとした拍子で発火の原因ともなりうる衝撃があれば、あっという間にその身を激しい炎で包んでいきます。
ちなみに、ゴジアオイの花言葉は「私は明日死ぬだろう」
絵を完成させることが死ぬこと、と真未が言っていたことともつながることがありそう………
- シカっぽいの絵とそのデジャブ
(引用元 STAGEnavi vol.57 p78)
深馬と真未が2人描いたシカの絵、最後デジャブとして出てくるときはモノクロの絵になっている。
色がなくなった=染色されなくなった=真未がいなくなった
ということを暗に示しているのかな…?
追記(6/10): シカっぽいと思ってたけど、シカというよりユニコーンとかそういうのに似てたなぁと思い、調べてみたら、二角獣(バイコーン)というのがいるみたい。ちなみに、バイコーンは “不純を司る動物”
と思ったんですが、他の方の考察を読んでて度肝抜かれ震えたものがあり、それが “キメラ” というキーワード。
“キメラ” とは、ギリシャ神話に登場するライオンの頭とヤギの胴体と毒蛇の尻尾を持つ伝説上の動物。確かに、ヤギ(っぽい)の絵も、蛇の絵もあって、あれライオンは?となるんですが、『深馬』この字ってシンバって読めるじゃないですか? “シンバ” ってアフリカの言葉で “ライオン” って意味らしいんですよ。
キリスト教では、ここでのライオンは「恋愛における相手への強い衝動」、ヤギは「速やかな恋の成就」、蛇は「失望や悔恨」を示しており、キメラ自体は「理解できない夢」の象徴とされたようです。
これは本編とは関係ないんですが、ライオンが春、山羊が夏、蛇が冬を象徴していたようで、秋に咲くソメイヨシノで完全に四季も制覇しちゃってるんだなぁと感じてしまいました。
“キメラ” ってこういう神話が語源で、現在の生物学的には、同一個体内に異なる遺伝情報が混じっている状態、平たくいうと “異質同体” ということを指すんです。なんか深馬と真未のこと指してるみたい
追記:
ヤギにヘビが巻きついた絵、完全にコレです………
熱中症で病院になるシーンの直前、スプレーを振っても振っても色がつかないのは、もう真未がいない世界に来てしまっているから…?
→真未と2人で描いた絵にスプレーで上書きしよう、つまりなくしてしまおうとするも出来なくて、「滝川がやったことにして」と電話するという流れ
デジャブで最後出てきた時にモノクロになっているのは、真未がいなくて、1人で描いた世界にきてしまっているからと考えられる
- 目のグラフィティアート
第六感の象徴??
まだ何の意味があるのか全然考察できないです。
追記:
この目のアート、私も何回見ても“怖い” という感情を抱いてしまうんですが、この“怖い” という感じを示してたのが、杏奈のリアクション。鍋パしてるときに杏奈を抱きしめた後思い立ったように書き始める絵、これを見た杏奈のリアクションがこの“恐怖” と一致してそうだなと感じました。
「大丈夫?深馬くんが、大丈夫?」と聞く、杏奈のあの純粋な目、あの目をモチーフにしたのだとすれば。あの目で映し出される、目で見えるものだけが全てじゃないという皮肉もあるのかな…という想像です。
この目の絵に関してはほんっっっとうに最後まで分からなかったし、その前に書く赤と黄色の鳥と龍?なのかな?も最後まで不明でした…………
[聴覚的考察]
- “酔ってる” の言葉の捉え方
今回の舞台でめっちゃくちゃ出てくるビールやお酒。グラフィティアートをしている時、絶対にお酒を飲んでる深馬は、酒に “酔って” いて寝てしまっていた間にグラフィティアートに手が加えられていた。また、真未が深馬に言う「自分に酔っている」というセリフ。お酒を飲むことで、深馬の中の真未が呼び起こされるのだとしたら、この“酔っている” 状態がキーとなるのかな、と思ったり思わなかったりラジバンダリ。
そういえば、最後の飲み会のシーンでも全ての明かしがあったから、もしかして酒が何かのポイントになっている?
余談
飲み会&アトリエではビール、グラフィティアートを描くときはスト缶がお好みの深馬くん
- 熱中症とパンフのお話
舞台で1番のターニングポイントと言えるのが、熱中症で1週間寝込んだところ。熱中症は気温が31℃を超えると、危険性が急上昇するそう。パンフの表紙の31℃で色が変化するのはそこと繋がってると考えられそう。セミの鳴き声と、滝川先生の「涼しくなってきたから〜」のセリフから情景は8月終わり9月あたりと感じ取れそう。
- 秋の桜について
秋に咲くソメイヨシノは“返り咲き”とも言われ、これは休眠ホルモンや気温によって春だと勘違いして咲いてしまうことによる。この休眠が深馬の熱中症による1週間の昏睡と繋がっていそうな感じがある。また、最後のシーンで真未が桜の散る中立っている演出があったけど、それは深馬が終始気にしていた“秋のソメイヨシノは春に咲くのか” という問いに対し、Yesであることを暗に示している。この深馬が気にしていた“春に咲くのか” という点、“桜は春に咲くものだ” という固定概念や先入観、縛られた考え方に深馬が囚われていると捉えることもできる。
留年をしてしまったことで、就職する同期と比べサクラサク春が来なかった深馬ではあるが、深馬の中の真未には桜が舞っている。
ここから、当初“なにかが枯れていた”深馬の芸術に関する未来に “桜が咲いた”ような明るい方向性が導かれていることが暗に示されているように思う。
大人だけど大人じゃない、大人だけど何かに周りの環境ー大学ーや人に縛られているモラトリアム人間の最高潮である大学4年生の、モラトリアムからさよならする北見原田杏奈、そしてさよならしない深馬。この対比も感じられますね……自分のことのように感じる…
追記:
北見原田杏奈のシーン、「なんで深馬あんなこと聞いたんだろう… もしかして…」で暗転
というところがありましたが、そこのシーンから、
1.2年の時に才能が開花した深馬(秋に咲いたソメイヨシノ)は、この先の“芸術家”としての限界を自分で突破できるのか(春に咲けるのか)
ということも示しているのかなと感じます。
[物語の本筋]
- どこからが現実?はたまた全て現実?
最後、展示会の場面から全てのデジャブが始まる。全部1人、真未なんていなくて、全部深馬1人でやっていた。ここに、一人二役のお芝居の凄さを感じてしまったんだけど、深馬の中に真未がいることがしっかり伝わってきた。
すべて熱中症による “奇妙な夢” で終わらしてしまっていいものなのか。これに関してはまだ考察が必要。
追記
熱中症から目覚めたあとも、滝川が犯人だったと北見原田も言ってるんだよなぁ。熱中症から醒めた=夢から覚めたではないのか……??
追記
幻覚夢ターンと現実ターンの切り替えが結局難しすぎました…………… 熱中症でガッツリ切り替わるのかと思いきや、1人語りのシーンを経て変わってることから、その後の生活で真未の存在が薄れ消えていったと考える方が妥当かも…
真未のコンテパートは真未が薄れていく象徴として捉えられるかな〜と感じました
- 深馬を凡とする真未
“自分にはない他の感覚に酔っている” 深馬は、トマトスープの詩に感銘を受けたように、真未にも心惹かれていく。それのきっかけは、今まで非凡だと持て囃されてきた深馬を「普通だ」と嘲笑したあの真未の態度に違いないだろうと思います…
芸術の英才教育を受け、主席で合格し、教授にも友人にも家族にも、“非凡”と言い続けられてきた深馬の22年間の人生で、初めて“凡だ・普通だ” と言ってきた真未。自分にはない “ちゃんとした不幸とちゃんとした自由” を持つ真未。
自分にはない様々なものを持つ対象として、真未に酔っていく。いつどんな時でも、自分を全肯定して一方的な愛情をくれる杏奈ではなく、真未に。
- 深馬と杏奈の依存の矢印の変化
2ヶ月会ってなかった杏奈と深馬、杏奈が就活で苦しい時に深馬にLINEで言った「今から…会えないかな…」が、最後に深馬が杏奈にかける電話でも発される。(原作通り)
杏奈の就活での面接と同じように、深馬にとって真未が現実にいないことをつきつけられたことは、“自分が否定されたような感覚” に近いものであって、その時に恋人を頼るのは深馬も杏奈も結局同じなんだろうな。杏奈に頼られたときに深馬はその感情を知らなかったからぞんざいに扱ったんだろう。
- 真未は何者?
真未は現実に存在しないのであろうことはなんとなく読み取れるが、では深馬の中の何者だったのか。
深層心理?解離性同一障害?記憶喪失?
解離性同一障害だとしても、熱中症を機にパッタリなくなるとは思えないし。
真未の「深馬の代わりに自由を」でも分かるように、やはり深馬の中の今まで破れなかった殻を破った状態が真未なのか?
追記(6/10):
深馬(みうま)って名前を反対から読むと、“ま(う)み” つまり、真未(まみ)なんですよね。ここからも深馬と真未は表裏一体ってことが読み取れたりする。シゲアキ先生もわざと原作の市村から深馬に変えたとのことですし……
追記
深馬が北見原田とよく言っている「なんだって良いんだよ、面白ければ」の言葉を、真未がなぜ知っているのかっていうところなんですよね………
お友達と話してても考察が違って面白かったのが、飲み会で真未がいないという現実を突きつけられてから走って走って1人でアトリエに来た場面。アトリエにくると、真未を肩車して染色したあのスプレーだけは消えてないんですよね。深馬の心の中に染み付いた真未のように、それだけは消えていなくて。それに手を伸ばし微笑む深馬、その手は届いたのか届いていないのか。
手を伸ばしても届かない=やっぱり1人じゃない、真未はいるんだと確信して微笑み、そして電話をかけるも繋がらない
の流れなのかなぁと考えています…
真未を抱いた(2人での行為)は真未がいない世界では自慰行為(1人での行為)となるのであって、自慰行為のあとに真未の連絡先を多分消している(スマホを思い切ってタップしてる感じ)ことから、そこで完全に深馬から真未を切り離したんだろうと考えられるかな〜………
この染色から染、色になったことで、市村から深馬になって人間味が増したうえに、周りを取り囲む登場人物の羨望憎悪がぶつかり合う人間同士の生々しさがより前に出てて、なおかつ並行して深馬にとっての真未とは…、真未は一体何者だったのか…という問いを受け取り手に投げかけ、舞台が終わっている。モヤモヤはするし、キーワードや伏線はたくさんあるけど、回収されずに残っているところがたくさんあって、それが “受け取り手に思考の余地を残す” ということなのかなと思ったり。
脚本のシゲアキさん、演出の瀬戸山さんにもう参りましたの気持ちです。
1週間で自分の中で噛み砕いて、個人的2回目に挑みたいと思います。また追記します。
6/14編集後記
先週からまたお芝居が変わってた…舞台ってすごい………未だわからないところがたくさん……
例えば、北見が杏奈に縋り付くところとか…深馬真未との対比………?
→これは杏奈にキャンバスぐちゃぐちゃ事件のことを説明して、自分の疑いを晴らしてる情景描写だと判明しました
私たちの心の中も頭の中もずっと染、色が染みついていて、ずっとずっと離れないんですよね………苦しい
あと一回でなにも解決される気しません………シゲアキ先生にそれぞれの描写の意図を語る会開いてほしいです………そして配信してください……
6/18 編集後記
本日私の個人的千穐楽でした。
6/14とはまた言い回し口調が違ったり、お芝居もどんどんアップデートされていて、舞台はナマモノだとひしひしと感じております。
ありがたいことに過去2公演、前方で表情を細かく見させていただき、本日は後方センター寄りでマッピングも含めて全ての空間を見渡せる、という個人的にすごく楽しい味わい方をさせていただきました。
原作『染色』から舞台『染、色』へと変化した、この読点(、)には、原作には表現されなかった人物同士の群像劇となったというだけでなく、この深馬と真未の二重の人格を区切る、という意味でもあるのかなとふんわり感じています。
舞台の最初に「僕なら好きな人と2ヶ月も会えなかったらオールバックにするね」と言った原田が、現に最後にはフランスへと旅立った滝川(原田の好きな人)と会えなくなったことでオールバックになっていたりと、話の本筋に関わるものだけでなく至る所に伏線やキーワードが散りばめてある舞台だなと感じました。
本当に何回見ても発見と驚きと深みがある、舞台『染、色』に、完全に私も染め上げられてしまいました。
深馬くんがこの先、世界を、周りを、深馬色に染め上げていけますように。
まだまだ、書き足らないこと、回収できてない伏線たくさんありますが、考察書き溜め、以上となります。脳内言語化メモの7000字弱ここまで目を通してくださった方はすごいですよ…………感謝です。いつでも考察マシュお待ちしております。討論会しましょう。
いつか、時間ができたら綺麗に読みやすくしたいとは思っています(予定は予定)
2021.06.18
夏 @summka_Js